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学芸員を退職後、これからの生き方を模索しています。シマを愛する←奄美⇔沖縄→の目線を通して、気ままに書いていま~す♪

by yukari-gou
 
奄美のなかの小禄
先日20日、
宇検村の<元気の出る館>で行なわれた
「エーチ ムンガタリ座談会」に
奄美文化財サポーターDEIDEIDEIも参加しました。



奄美のなかの小禄_f0001865_9485486.jpg
エーチというのは、宇検村をとりかこんでいる
焼内(やけうち)湾の呼び名です。

いま宇検村の資料整理をおこなっている高橋一郎さんが、
おもろさうしをはじめ様々な歴史史料や
エーチの人々からききとった伝承をふまえて、
奄美の歴史の一端をかたってくださいました。

これまで語られていた琉球の大島討ち以外にも
大島討ちがあったという仮説は
背筋がピーンと伸びちゃいましたよん♪

それがエーチの人々に与えられた
古文書からも読み取れるのです。

それもびっくりしたけど、
展示されていた史料のなかにあった
<豊見城(とみしろ)>とか<小禄(おろく)>の文字。
なんでこんなところにあるの~?
どうも琉球の江戸上りに関係があるようなんですね~。

おっとー、ここでちと余談です。
辞令書って琉球国王から直接与えられる文書のことでいわれてきましたが、
そうです、今でも発令される辞令書ってやつです。
辞令ということばそのものの意味からも
使い方としてふさわしくないとうことで、

国王の印鑑つまり朱印が辞令書の両端に、
ペンペンッ、とー押されているので
これからは、朱印状(しゅいんじょう)って呼ぶようにしましょうと
歴史学者の間で決めたんですって~。

古文書の扱いにされていなかった琉球の辞令書、いやいや朱印状は
現存している半分は奄美のものなんですよ。
これからは日本の歴史史料の古文書として
正式に扱われるようになるわけです。

静かにこのエーチに人々によって残されてきた遺品の数々。
今でも行事のたびに、それらの虫干しを欠かさず大切に守り続けてきた結果なのです。
戦災で多くの財産を失った沖縄の現状とはほんと対照的ですよね。
うーん、目が離せませんよ~、奄美歴史発掘も。
by yukari-gou | 2006-09-24 10:33 | まちづくり
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