学芸員を退職後、これからの生き方を模索しています。シマを愛する←奄美⇔沖縄→の目線を通して、気ままに書いていま~す♪

by yukari-gou
 
夜光貝はどこへ?
 夕べ12月5日の夕方、笠利町の宇宿貝塚へ行ってきました。奄美空港を北向けに車で5分も走らせると左手に、つい見落としてしまいそうなグレーのドーム型の建物があります。それがウシュク貝塚です。貝塚というと、普通何にもない原っぱだったりしますが、ここは国が指定した貝塚なので、なんと貝塚全部を建物で覆って保存しています。一度、足を運んでみてくださいね。
 
 



さて、ここで熊本大学考古学研究室の木下尚子先生を講師に「奄美文化財サポーターでぃでぃでぃ」の例会がありました。スタートは夜7時、吹きつける寒波のなか、非会員を含めた22名が参加しました。 

 今回のテーマとなった「マツノト遺跡」は、奄美大島の砂丘ともいえる笠利町の土盛から崎原にかけての海岸一帯にあります。この辺りは「笠利町マツノト」といって、遺跡の名前は大抵その集落や字名から名づけられることから、この名前がついています。
 平成4年に発見されたこの遺跡から大量の夜光貝が見つかっています。木下先生の研究グループは、この夜光貝の個体数を、巻貝の頭とへそやフタまで全て数えあげたそうです。そして、その貝の破片やフタから夜光貝の大きさを推測すると、ある一つの謎が見えてきたそうです。
 さて何個ぐらいあったと思いますか? どれぐらいの大きさだったのでしょうね。

 貝とフタの数と大きさの関係グラフは、ある一定の大きさを頂点とした姿になっていました。
 木下先生の推測では、各国から長安に集められた莫大な宝物の種類や量からいっても、日本と長安を結んだ遣唐使だけのつながりだけでは説明がつかないほどに異常な量の多さ! だそうです。つまり、奄美が直接、今の中国と交易があったかも知れないという、日本史上でもぶっ飛んだ一つの説を、大変大胆にかつ控えめに挙げていました。

 う~ん、オモシロ~イぞう!!! どんな人たちが運んだんだろう? 名前は残っているのかしらん? 何だか風景が思い浮かんでくるぞ~♪ 私たちのシマの歴史というのは、このように地道な研究の積み重ねによって、推測からある説として発展させ、いつか誰もが知っている普遍的な定説となっていくことを期待したいものですね~。

 皆さん! 学び、想像(創造)することはいくらでも自由ですよん♪ 一緒にシマのことを学んでみませんか? シマに足を踏み入れる研究者をに無理やり引きとめ、強引に話をさせる会です。随時、会員募集中です!奄美文化財サポーターDEIDEIDEI事務局0997-63-0054または63-9531
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by yukari-gou | 2005-12-06 18:55 | DEIDEIDEI
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